城取り

石原裕次郎主演の珍しい時代劇というだけで、何気なく録奥ョていた映画である。

見始めてからすぐに毅「た。日活の映画である。日活が時代劇を作・トいたなんて、初めて知・ス。
登場人物を見ていたら、帥・ァ鉄男の名前が目に入・ス。第2の毅ォだ。帥・ァ鉄男が時代劇に出てるのcヨめて見る。そのほか、千秋踀A中村玉緒などと時代劇常連の名前が出てくると、なるほど時代劇のベテランで横を固めるというわけかと納得する。
そして、最後に毅「たのが、近衛十四郎の名前を見つけたときだ・ス。
さすが石原プロの映画だけある。時代劇の超大物を迎えるとは。これは尋常な映塩繧痰ネいな、と期待感が膨らんだ。

冒頭から石原裕次郎が登場する。どうやら浪人の設定のようだが、かつらが似合・トいない。このへんかwヤ統的な時代劇じゃあないなという感じがしてくる。
ストーリーは、石原裕次郎扮する主人公が、仲間を一人二人と増やしながら、築城中の山城(というより砦とい・ス感じ)を地元百姓衆の力を借りながら攻め取るというものだ。

帥・ァ鉄男がなかなか登場しないなあと思・トたら、元忍者の山賊役で早々と登場していた。が、顔つきが全然違う。相当若いときの映画のようで、あのa痰¶ゃ頭でもないし、目がギョロッとして精悍な顔つきだ。喋り方をよーく聞いていると、確かに帥・ァ鉄男という気がしてくる。

中村玉緒はまだ若い娘そのもので、生きがいい。

そして圧巻は近衛十四郎だ。登場するだけで画面が締まる。貫祿十分だ。
先にも書いたが、正統的な時代劇とはちょ・ニ違う。石原裕次郎の殺陣はお世辞にも上試・ニは言えない。しかしそこは本人も十分認識しているようで、裕次郎が使うのは普通の刀より相当長い刀だ。それを、しかも忍者のように背中に背負・トいる。あれではいかに長身の裕次郎でも抜けないのでは(本物の忍者刀は侍が持つ刀より短く作られているので、背中かmbけるのだ)? と思・スら、何とぐわ・ニ背伸d┨る格好で見事、抜くシーンが登場する。うーむ、裕次郎、なかなか魅せるな

その長い刀でずば・Aずば・ニ斬・トいく。
最後に近衛十四郎との一騎討ちが待・トいnラ、正統派の十四郎に敵うわけもなく、編み出したのが、サスケの分身の術よろしく相手の廻りをぐるぐる回らキとによ・ト撹乱する戦法だ。途中、切れなくな・ス刀を砥石で研いだり、設猪b帰Bトいて面白い。

もう一つ、この映画で語らなければならないのは、山に踀
ロに作られたと思われるセットだ。
二の丸、三の丸と仮組みのセットをそのまま砦に模しているので、非常に奥行きのある映像が撮れている。さすが石原プロ、大切なところにた・ユり金を注ぎ込んだという感じだ。

冒頭に、主人公の正体として「小早川家にその人ありと言われた・・・」と匂わしておいて、最後には正体明かしがあると期待していたが、結局正体は判もyじまい。
後でネットで検索してみたら、隆慶一郎が脚本を書いていて、前田慶次郎との設定との噂があるようだ。また、原作を司馬遼太郎書いているらしく、こちらのほうa曹クれ読んでみたい。

何しろ、石原裕次郎のサービス心満点の娯楽時代劇だ、ぜひ一見すらキとをお薦めする

天璋院篤姫 【宮尾 登美子】 講談私Eカ庫

NHK大河ドラマ「篤姫」の原作である。
何とも重苦しい読後感だ・ス・・・

この小紳刊行されたのは昭和59年というから、15代将軍慶喜の評価がまだ低か・ス(徳川幕府をつぶした愚かな将軍との評価)時代で、篤姫d兼膜凾Bトいたと書かれている。

慶喜については、管理人も以前は、徳川幕府を潰した愚かな将軍と認識していたが、本木雅弘の「大河ドラマ 徳川慶喜」のときに、踀
ロはいろいろな複雑な事条・ꀀり、単純に評価すらキとはできないとの認識を新たにしたものだ・ス。ただし、あのドラマのテーマ曲は陰鬱で、聞くたd・後味が悪くなる感じがして嫌だ・ス記憶がある。

そうした慶喜の描かれ方にも興味を持ちながら本作を読み進めてい・スが、将軍家の御台所となるところまでは坂を上・トいくような期待感が感じられたが、それ以降となると、やたら毒殺の話が多く、・「イメージがつきまとう。
や・ニ最後の場面にな・ト、篤姫の義理の孫に当たる家達の「現役御台所の扱いで葬儀を」の言葉でぐ・ニ来て、少しは救われたた感じがしたが。

ドラマの設定とはだいぶ印象が異なる。
篤姫、幾島は近いが、おしがの方はきつい性格、本寿院はおとなしい性格とな・トいる。また、幾島は、慶喜の14代将軍擁立に失敗してまもなく引退し、それ以後は滝島が篤姫の最も近い存在とならキとにな・トいnラ、ドラマではどうなるか。また、後半の第二の主人公として、第14代将軍御台所で篤姫の義理の娘となる和宮が登場すnラ、堀北真希がこの大役をこなしきれるか。

原作では慶喜があまりよく書かれておもy、島奪ャ彬たちがなぜ「英邁」と判断し将軍擁立をたくらんだのかは判もyじまい。ドラマの設定では、いかにも「きれる」と思わせる言動・表条・ゥいまみえるので、それなりに納得できる。

篤姫の夫たる13代家定の設定についても、ドラマの方が掘り下げて描かれている。これには堺雅人の演技力に負うところが大きい。

西郷隆盛、大久保利通との接点はなく、小松帯刀に至・トは名前すら出てこない。

とい・スふうに、この原作とドラマとではだいぶ設猪b異なる。これには、ドラマの方が圧倒的に時間が長いことに隠ヲ、原作が書かれてから時間が経・スことによる歴史的新事踀フ判明などが考えられる。
したが・ト、これまでの明るいドラマ設猪b霜Zに変えられらキとは想像し難く、後半a}の路線で続けられるものと期待できる。

蛇足だが、この原作は、あまり登場人物にセリフを語s_ず、作者の説明でたんたんと話を進めるスタイルとな・トいる。インターネットの他の書評を読むと、格調高いとか書かれていnラ、管理人には単純に読み・轤「という印象が強く残・ス。
原作は原作、ドラマはドラマ、と普段は割り切・トいnラ、この作品に関しては読まなきゃtY・スかなあとちょ・ニ後悔した

小説 織田三代記 羽生道英 著 (PHP文庫)

織田信長について書かれた本は数多くあれど、父親の信秀、長男の信忠について書かれたものは少ない。
が、期待してたほどではなか・ス、というのが感想だ。

まず、信秀はかなり好意的に書かれており、家中であまり評判のよくなか・ス信長の才能を見抜いていたとの書き方。

信長については、それほど「うつけもの」という書き方はしておもy、冷植ナ計算の上の行動だとの書き方。

斬新なのは信忠の描かれている点。大河ドラマでも映画でも、信忠役の俳優の記憶は全然ない。本能寺の変のときはい・マしの大人にな・トいるはずなのに、信忠の登場する場面などあ・スかなという感じだ。
本書では、自分の後継者としてふさわしい言動をとるごとに目を細める信長の様子が、たd┸び描かれている。柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉たちと軍略について言葉を交わす場面は見慣れていnラ、信忠に意見を求める場面は非常に新鮮に映る。

しかし、もう一歩でも二歩でも踏み込んで欲しか・スというのが本音だ。
確か八切止夫のシリーズに、三男信孝を主人公とする話があ・スような気がすnラ、これからは信忠、信雄、信孝に焦点を当てた本があ・トa曹「のではと思・ス。

珍しい一編ではある。

武士の一分

上映当時、木村拓哉主演で話題とな・ス映画である。
藤沢周平原作の映画は、どれもよくできていnラ、本作は時間が短いせいか、ストーリーは予抽利a的に進み、クライマックスも変にひねりもなく、シンプルに仕純I・トいる。
もう少しチャンバラシーンがあ・トもtY・スのでは? と思わせるほど刀の出番が少ない。
木村拓哉の剣さばきが垣間見られるのは、緒形拳との木刀での打ち込みのシーン。ほかにももう一か所、自宅庭での練習シーンが出てくnラ、正確に木刀を振り下ろすのを見ると、かなりの鏑Pを受けたように見える。

「下級武士にも一分の魂がある」という割には、敵役の坂東三棚ワ郎の意地悪さがあまり伝わ・ト来なか・スような・・・。

ラストで下女として家に戻・トいた檀れいが、何とも可愛い奥様ぶりを見せている。
決して大型時代劇とは言えないが、小気味いい作品に仕純I・トいる。

士魂魔道 大龍巻

ともと「士魂魔道」という原作があ・ト、それを映像化するにあたり、竜巻を取・トつけたような感じの映画である。原作に竜巻が描かれているかはわからない。
「士魂魔道」という題名が、何かおどろおどろしさを醸しだすが、内容は至・ト普通の時代劇である。

大坂城落城後の混乱の時代を背景に、若いころの松本幸四郎(当時は市川染五郎)ほかの面々がしぶとく生き抜いていくというもの。ヒロイン役の星由里子が非常に可憐だ。
貫祿十分の三船敏郎がたd┸d双てくnラ、ちょ・ニ設定に無理があるような・・・。

いやいや、そんな無理はせ些細なこと。この映画で無理な設定といえば、クライマックスの竜巻のシーン。峠の一軒家に集ま・ス主人公を除く一派をことごとく蹴散らしてしまうという、文字どおり荒唐無稽の設定なのだ。

しかし、ここで設定の無理さ鵜クをつついても何も始まらない。ここは、円谷英二の哲B(冒頭の大坂城落城シーンでも見られる)を思う存分堪能したい。
何しろ製作されたのは1963年、昨今の哲B満載のハリケーンのシーンに比べれcꀀt拙であらキとは否めないが、家の中が吹き飛ばされるシーン、茅葺きの家が吹き飛ばされるシーンなどは、スローモーションをうまく使・トなかなか臨場感溢れる仕純Iりにな・トいる。

時代劇に哲Bがおまけで付いたと思えば、なかなか楽しめる作品である。